2015年10月01日

「舞台」って何だろう?

シネマ歌舞伎、とやらを見てきました。
玉三郎が主演の泉鏡花作品を2本。
「海神別荘」と「高野聖」。


「海神別荘」
主演:坂東玉三郎、市川海老蔵
美術:天野喜孝
2009年7月 歌舞伎座公演


kabuki_01.jpg


ここは海の底、琅玕殿という宮殿。
海神の公子が花嫁の到着をそわそわしながら待っている。
この花嫁ってのが、浦一番の美女らしいんだけど、
貧しい漁師である父親が
「魚とか財宝とかと引き換えなら、娘をくれてやってもいい」
なんて約束をしてしまったがために、
娘は人身御供になって差し出されてしまった模様。
道中、サメだかなんだかに襲われそうになった娘を、武装して助ける公子。
その姿は黒い毒龍のようで、娘は怖れおののいてしまうのね。
公子と対面した娘は、父親や浦のみんなに生きている姿を見せたい、と懇願するんだけど、
実はもう娘も海蛇に姿が変わってしまっていて、
父親には殺されそうになって、海の宮殿に逃げ帰ってくるんだけど、
もうもう、悲しくて、めそめそ泣いているわけさ。
公子は「だからやめろって言ったのに」「泣くなら殺す」って言って、
実際に殺そうとするんだけど、
いざ間近で公子を見た娘が「こんなに美しい方だったのですか」と改心しちゃって(笑)
めでたし、めでたし、って話。


うーん・・・
「海神別荘」は、わりと好きな脚本なんだけど、
意味がよくわからないのよね(笑)
他人の演出=切り口を見れば、何かヒントがつかめるかと思ったんだけど、
やっぱりよくわからなかった(笑)

公子の理屈はわかるんだけど、
娘がコロっと態度を変えるのが不可解。
セリフの流れでは飛躍があるので、そこを演技で埋めてほしかったんだけど、
「?」のまま終わってしまったよ(爆)
これってさ、「見る」ってことがキーワードだと思うんだけど、
古語の「見る」って、「心が通う」とか「婚姻する」とかって意味でしょう?
それがうまく活かされていないのかなぁ・・・

あんまり公子と娘が交流していなくて、
役者の気持ちが動いていないから、
見ているこっちの気持ちも動かないのかもしれない・・・
これ、ちゃんとガッツリ交流させたらどうなんだろう・・・

海老蔵が大根で、ひとり芝居が浮いてるんだけど(笑)
まぁ、見目がいいから、公子は適役なのかもしれません(笑)

とにかく、美しい絵づら・動く写真集が見たかったら、2100円はお安いかもね。




「高野聖」
主演:坂東玉三郎、中村獅童
2012年3月 上映
舞台公演の収録ではなく、シネマ歌舞伎用に新たに舞台上で撮影とのこと。
その舞台映像に、ロケーション映像などを編集で加え、
実験的な映画作品に仕上がっています。


kabuki_02.jpg


若い僧侶が、飛騨から信濃に抜ける山道に迷い、
山奥の一軒家にたどり着く。
そこには、この世のものとも思えないほどの美女が住んでいて、
その色香に道を踏み外しそうになるが・・・
って話。

これってさ、とっても肉感的な作品だと思うのよね。
真夏の山の蒸れた草木の臭い、
動物の臭い、
汗の臭い、
若い男と美しい女の、
転ぶか転ばないかというギリギリの駆け引き(笑)

そういう「臭い」が感じられるのが、いい芝居だと思うんだけど(笑)
やっぱりきれいな動く写真集になっちゃうなぁ・・・

中村獅童、いい役者だと思うんだけど、
やりどころがないまま終わっちゃった感じでもったいなかったな。
これ、観客なしで映像を撮ったんだろうか?
それで、テンション張れないまま・見せる(魅せる)本気を出せないまま
終わっちゃっても仕方ないのか?
仕方ないで終わっちゃっていいのか?





「舞台」って何なんだろう。

セリフで語られるストーリーを超えた何か。
役者と役者の間、役者と観客の間に、ぴーんと張られた感情の糸。
実際には感じることのできないものを感じさせてしまう不思議。

ただ、キレイだった、豪華だった、で終わらせない何か。
舞台を映像にした時に、抜け落ちてしまう何か。








この2作品の上映は、明日まで。



posted by ゆきお at 19:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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