2015年06月25日

「隠す」難しさ

先週末、ULPS公演「評決」を見てきましたよ。
脚本はアガサ・クリスティ。


ulps_2015.jpg


自分の正義を貫いたために、故国の大学を追われるようにして、
英国に亡命してきた大学教授。
妻はいまだ治療法もわかっていない難病に苦しんでいる。
妻のいとこと家政婦が家事の面倒を見てくれているが、
はて、妻のいとこ?
なぜここに、妻のいとこ?
って、まぁ、教授の愛人なわけですよね(笑)
愛人っちゅうか、教授も彼女もお互いにお互いを想っているけど、
それを絶対に口には出さない、態度にも出さない。
だって、奥さんと一緒に暮らしているから。
もう、これだけでサスペンス(笑)
そんな緊張度合が高い状況の中に、
女生徒の1人が「私を教授の生徒にしてくれ!」と押しかけてくる。
彼女は若くてお金持ちで魅力的、で、押しも強い。
欲しいものはなんでも手に入れてきた。
で、その彼女が引っ掻き回して、
今までのひそやかな緊張の糸をプッツリ切るような事件が起きる、と。


うん。

「隠す」演技って、難しいものだな、と思いました。

教授といとこがお互いに好きな気持ちを持っているんだけど、
それを相手に悟られちゃいけないし、
もちろん、奥さんには隠さなくちゃいけないし、
世間にも見破られちゃいけないけど、
観客にはわかってもらわなくちゃいけない(笑)


うーんとね。

脚本には何が書いてあるかというと、「行動」が書いてあるんです。
セリフにしても、「こういうことを言いました」という「行動」なんですね。
だから、「行動」しないと演技にならない。
その「行動」を裏付ける気持ちや背景を作ってくるのが、
役者の仕事なわけです。

で、問題の「隠す」。
実際に隠された行動、気持ち、演技は、
観客には見えないから「なかったこと」になってしまう。

じゃあ、どう表現するのか。
「それが露見しなさそうな時に、どう行動するのか」
「それが露見しそうになった時に、どう行動するのか」

そのシチュエーションは、脚本に書いてある時もあるし、
演出や役者が脚本から拾う時もある。

秘密の共有と露見。
やむにやまれぬ状況になり、
それが積み重なって、絶体絶命に追い込まれていく。
アガサ・クリスティの脚本の中で、唯一サスペンスではない作品、とのことでしたが、
充分にサスペンスだった気がします(笑)


A班とB班のダブル・キャスト。
その仕上がりの差は、この「行動」の差のように思えました。



まぁ、この脚本は、50〜60歳台の役者でやるような芝居だよね。
みんな、よくがんばりました(笑)
お疲れさま。
次回も楽しみにしています♪



posted by ゆきお at 09:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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