2015年12月05日

演出というお仕事

役者はね、
役をもらったら、
その役について一生懸命、考えてくるわけです。
脚本に描かれている時間が2時間だとしたら、
その役の人生のうちの2時間を表現するということなので、
そりゃもう、一生分の「その人」を考えます。
それを「役の過去を作る」といったり「サブテキストを作る」といったりします。

役者はね、
その役、1人分を深く深く掘り下げて考えるんですが、
演出はね、
この作業を役の数分やります。
登場する役が8人いたら、役者の8倍、やります。

なんでかっていったら、
役者は、その2時間で、役の人生を表現したいんです。
なんでもない、たった1言のセリフにでも深い意味を見出します。
「それで合っているか?」
「この解釈は、演出の意図に沿っているか?」
「演出はどんなビジョンを描いているのか?」
そんな議論をします、稽古後の居酒屋で(笑)

それは、
「自分は人間や人生や世界ってヤツを、こんなふうに捉えたけれど、
 もっと深く捉えることはできないか?」
ということなんだと思っています。

私はその議論が好きです。

役者たちの人生観と、演出である私の人生観や世界観と、
どっちがより深いかの勝負ではありません。
いや、ある意味では真剣勝負です。
役者に議論で負けてちゃ、演出なんかできません(笑)
でも負けることもあるかもしれない、
役者の方がいい解釈をしていたら、私はそれを採用します。
そんな時は負けたってかまわないと思っています。
切磋琢磨です。
でも、まぁ、だいたい役者は演出の言うことに納得してくれます。
なぜなら役者は役の人生を考えますが、
演出は、なぜ「いま」この作品を上演するのか、も考えるからです。
脚本家の時代や国といった背景、現在の日本の状況、脚本の持つ普遍性、
その上での脚本上演の選択。
演出はそんなことも考えるからです。

でも、役者と演出とが
「人間とは何か、人生とは何か、世界とは何か、
 それらはどうあるべきなのか、
 どうあってほしいのか、
 それをどう表現するのか、
 何で表現するのか」
を 話し合って・語り合って、
より深く、感動できるビジョンに到達できるなら、
それこそが、私たち・芝居人の仕事だと思うのです。

だから、稽古後の居酒屋は楽しいのです(笑)


まぁ、居酒屋でかどうかはともかく(笑)
議論がない稽古場だったら、
何のためにその作品を上演するのか、迷走します、たぶん。
迷走した作品を見せられて感動するお客様はいません。
感動を担保できないような演出は、演出をやっちゃいけません。
役者との議論を避けるような演出は、演出をやっちゃいけません。

そりゃ、怖いですよ、
自分より人生経験の長い役者を使うなんてことは。
でも、それを避けていたら、芝居をやってる意味がなくないですか?

自戒をこめつつ。



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posted by ゆきお at 00:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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