2015年10月21日

時代に愛され、時代に負けたダンサーの物語

ボリショイ・バビロン 華麗なるバレエの舞台裏」観てきました。

2013年に起きた、硫酸襲撃事件を中心にしたドキュメンタリー。
世界3大バレエ団の裏側にカメラが入った!というのが売り(笑)
1つの事件に対して、いろんな立場の人からのいろんな意見をすくい上げていて、
とても立体的に見せていたと思う。


bolshoi.jpg



世界に誇る、ロシアのボリショイ・バレエ。
歴史と伝統のあるそのバレエ団の公演終了後に、
芸術監督の顔に硫酸がかけられるという事件が起こる。
芸術監督の名前は、セルゲイ・フィーリン。
硫酸をぶっかけた犯人は、パーヴェル・ドミトリチェンコ。
彼もダンサーで、同僚たちからはとても信頼されてたみたい。
で、つきあってた彼女が、フィーリンから冷遇されていて、
それが腹に据えかねて、硫酸ぶっかけたそうだけど。


ここらへんまでは、新聞で読んで知ってた。
そして「ああ、やっぱりな」と思った(笑)
バレエだろうが演劇だろうが、
大なり小なり、どこにでもある話だ。

芸術監督や演出、プロデューサーが配役する。
気に入った若い子(しかもヘタクソ)をいい役につけて、
いままでがんばってきた古株のダンサーや役者から役を取り上げちゃう。
で、内部で猛烈な軋轢が生まれるっていう(笑)

ダンサーとか役者とかって、とにかく舞台に立ちたいからさ(笑)
舞台に人生捧げちゃってるからさ。
舞台に立てない、立たせてもらえないってことは
「おまえ、死ね」って言われてるのと一緒なのよ(笑)
その嘆き、その恨み、その瞋恚たるや、推して知るべしよ。

それがまた、自分が舞台に立てないっていうなら、どうにか我慢もするわさ。
あきらめもするかもしれない。
でも、自分の大事な恋人が「もう死にたい」って言って、毎日泣いてたらどうよ?
ドミトリチェンコっていい人そうだしさ(笑)
きっと逆上しちゃったんだろうなぁ・・・




だから、新聞を読んだ時点で、
私の中では、フィーリン悪人説でかたまってたんだけど(笑)



彼、若い頃はボリショイで人気のダンサーだったらしい。
引退後にモスクワ音楽劇場の芸術監督に就任、
その後、ボリショイ・バレエに引き抜かれるんだけど、
その移籍の時、どうやら筋を通したやり方じゃなかったみたいね。
他の人の迷惑も顧みず、わがままに移籍しちゃったんだろうな、
と思えるコメントがあったし。
で、ボリショイに移ってからは、外部から新しい若いダンサーを引っこ抜いてきて
古株のダンサーを差し置いていい役につけちゃうわけ。
この事実だけ見ると、ね、ほら、典型的な悪いヤツなんだけど(笑)



フィーリンへのインタビューに
昔も今も、僕は変わっていない
ってコメントがあって。

あ、そうか、って思った。


もしかしたら、彼も被害者なのかもしれない。

時代の、
そして、ロシアという国の。




映画では描かれていなかったけれど、
調べてみたら、1990年にプリンシパルになったらしいから、
彼がダンサーとして活躍したのは、
1990年代以降から、引退する2008年までということになるよね。
確かな基礎技術に裏付けされた正確な踊りで、
新作や再振付なんかで好評を得ていたダンサーみたいだし、
世界各国のバレエ・コンサートへの出演や
ロシア国外のバレエ団への客演も多かったそうだし。


1990年から2010年頃のロシアといえば、
1991年にソ連が崩壊、エリツィンがロシアの大統領に就任。
共産主義から資本主義へ国の体制が移行する過程で、
深刻な物不足と、拙速な市場経済化による貧富の差の劇的な拡大が生じてた時代。
1999年にはエリツィンに変わって、プーチンが大統領の椅子に座り、
ロシアの持つ豊富な天然資源をバックに、年々高い経済成長を遂げて、
貧困も半減した、そういった時代。



大きな変化、新しいものへの期待、その成功。
そういう時代の空気の中で、第一線のダンサーとなったセルゲイ・フィーリン。



たとえば、バブルの頃に青春を謳歌していた人は(笑)
いまだにその価値観や気分が抜けないように、
セルゲイも、その「変化はすばらしい」「新しいものはすばらしい」、
「新しいもので成功する」っていう価値観
捨てられずにいたのではないのかな、と思ったんだよね。


だから、240年続いた・世界に誇るボリショイ・バレエに引き抜かれた時には、
自分の価値観が認められたってことだと思ったろうし、
だから、240年続いた・ロシア伝統のボリショイ・バレエの芸術監督に就任した後も、
「新しいことはいいことだ」って思って、
外部からダンサーをばんばん入れたし、新しい子にいい役を抜擢するし、
それで成功すると思ってたんだと思うんだよ。


でも、彼が引退した2008年にはメドヴェージェフが大統領に就任していて、
その後、グルジアとの間で武力衝突が発生したりして、
だんだん時代がきな臭くなってきた。
2014年にはウクライナあたりで軍事介入したりして、
欧州との関係も微妙になってきてるし、
人の心は「変化」よりも「安定」「安心」を求めてきていたのではないかな。


でも、セルゲイは「変化」しようとする、「新しいもの」を導入しようとする。
「伝統」「安定」が息を吹き返しつつある時代に。
彼は彼で、一貫して「いい舞台」を創ろうとしてきたんだと思うよ。
でも、彼は時代に愛され、そして時代に裏切られたんだとも思うんだ。
240年の伝統、それを支えてきた怨念のようなものが、
時代の機運という味方を得て、
容赦なく彼を押しつぶしていくように見えるんだよ。



セルゲイ・フィーリンは、
犯人のドミトリチェンコに舞台の栄光を奪われたんじゃない、
新しい総裁のウラジミール・ウーリンにパワーゲームで負けたんじゃない。
「時代」と「ロシアという国」に愛され、そして戦いを挑んで、負けたんじゃないかな。




2015年7月、ボリショイ・バレエは、
セルゲイ・フィーリンの芸術監督の契約更新をしないことを決定。
でも、解雇はしない。


僕は、ボリショイの芸術監督を受けるべきじゃなかった
喜びも楽しみもない


そう言ったセルゲイの、舞台人生。






どうか、もう一度、彼が舞台を好きになれますように・・・
舞台の幸せを思い出せますように・・・







監督:ニック・リード(英)
Bunkamura ル・シネマで、10/30まで(予定)

あ、ちなみに、火曜日は1100円で見れますよ(笑)










posted by ゆきお at 23:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月16日

「しあわせ引寄せ」感が半端ない

連休、ちょいと里帰りしてました。
いい季節だし、いいお天気だし♪
気持ちよくドライブもして、いいお買い物もできました。
で、湖畔のレストランでランチでもしようか♪と、
公園に隣接した市営の無料駐車場に、車を止めようとしていたんですよ。

連休だからね、
公園に遊びに来ているのであろう、たくさんの車が
続々と駐車場に入ってきてましてね。

「ああ、こりゃ、駐車するのは無理そうかなぁ・・・」
と思っていましたらば。
目の前の列から、おじいちゃんが運転する車がひょいっと出て来ましてね。
「お♪ なんてラッキー♪♪」と、思いつつ、
ここに入りたいんだけど、いい?と、
おじいちゃんに指さしで合図をしましたらばね。
フロントガラス越しに、おじいちゃんがにっこり笑いかけてくれましてね(笑)
もう、当然、おじいちゃんが!私に!譲ってくれたものだと思うじゃないですか。

で、旦那くんの車を誘導して、空いたスペースに駐車した、途端。

斜め向かいに違法駐車していた車から、
30歳台かなぁ、40歳になるかなぁって、男が降りて来ましてね。
私にいきなり怒鳴ってきたわけです。

いわく。
「そこは、こっちが狙っていたんですよ!」
「勝手に駐車しやがって!」

「え、でも、出ていくおじいさんが私に合図してくれたんですけど・・・」

「それは、俺に合図したんです!!!!!」
「もういいです!!!!!!!!!!」

ん?
もういいんなら、私たちが止めていいんだよね?

「はぁ、ありがとうございます」

って、それで一件落着かと思えば、
それ以降も、ずーっとずーっとにらんでるわけですよ。

で、旦那くんが、「・・・別のとこ、行こう」って言うので、
たしかに、それはそうで、このまま車を置いて出かけようものなら、
何かいたずらとかいやがらせとか、されそうな勢いでしたもん。

「私たち出ますから、どうぞ」
って言っても、窓ガラスごしにずーっとずーっとずーっと、にらんでるわけです。

「ふざけんな」
って、口元で言ってるわけです。



え?
いったい何なの?
誰もいい気持ちしない発言よね?
自分から譲るって言ってるのに、
っていうか、譲るも何も、私的には最初から「?」な状況よね??
言いがかりというか、まったく理不尽な感じ。
その上、言葉のカッターナイフを、ぶんぶんと投げつけられた気がするんだけど。
その男性の言葉というか表情というか気持ちというかオーラというか、
ものすごーい長い出刃包丁みたいになって、
私に切り付けてくる感じだったんだけど。

いやぁ、久しぶりだったわ(笑)
こんなどす黒いオーラ(笑)
事故だね、もらい事故。
いま思い出しても、あの悪鬼のような表情が怖いですもん(笑)
あれ、車に奥さんと小さな子供も2人くらい乗ってたなぁ。
あんなふうに怒鳴る夫、すごく品がなくて、私だったらイヤだなぁ。
まぁ、芝居人的には、本気の「悪意」を見られたので(笑)
これをストックしておいて、いずれ芝居に使えるかも・・・と思っていますが(笑)




さて。
これには、いったい何の意味があったんでしょう?

あの男性は、
自分の思う通りに物事が進まなくて、
自分にはラッキーなことがやって来なくて、
幸運に恵まれた他人が妬ましくて、やっかんで、嫉妬して、
「なんで、お前ばっかりいい思いするんだよ!こんちくしょう!!」
って、いつも思っているんでしょう。
たぶん。

だから、たまたまラッキーに恵まれた私に、その鬱憤をぶつけた、んでしょう。

思う通りにいかないって思っている人生。
自分にはラッキーなことが起こらないと思っている人生。
見つからなければいいや的に、違法駐車を選ぶ人生。
だってしょうがないだろ、違法なことをしても、
自分にはラッキーなことなんて起こらないんだから、という人生。
だから、幸運な人をやっかむ人生。
・・・そんな人生、私はイヤだなぁ。

「お、あの人はラッキーだったね、
 少し待てば、自分にも同じラッキーが起こるよ」って
なんで思えないんだろうか。
そもそも、違法駐車なんてしないで、
「連休で混んでるからね、有料駐車場にまわってみようか」って
なんで思えないんだろうか。

まぁ、イライラも鬱憤も黒いオーラも(笑)
それは、あの男性の問題。



でも、それで終わっては、言いがかりをつけられた私自身が納得がいかないので(笑)
ここのところ、「この私」に起こったという、「その意味」を考えていたんだけど。

つまりさ、やっかまれた、わけだよね。
私はラッキーだし、幸運に恵まれてる、ってことよね。
たしかに、その日の私は・私たちは、とても幸福感に包まれてましたしね(笑)
嫉妬メラメラになっちゃうくらい、しあわせオーラを醸し出してたってことね(笑)


そうなんだよ、私、たいていラッキーなんだよ。
人生ラッキーと思ってるから(笑)

これからも、ますます大きなラッキーが起こると思うし、
ますます輝いちゃうだろうと思ってるから(笑)
ああ、もしかしたら、これからも、こんなふうにやっかまれて
言葉やオーラのナイフを投げつけられることもあるかもね。
でも、それすらも「あらあら♪」と笑えるくらい、
もっとラッキーになっちゃうかもね(笑)
いや、なっちゃうけどね(笑)






って話を、アロマ・マッサージの担当さんに話したら、

「ああ、だって、ゆきおさん、
 しあわせ引寄せ感が半端ないですもん(笑)」って

絶賛、保証されちゃいましたけども(笑)
ははは。





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posted by ゆきお at 00:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月01日

「舞台」って何だろう?

シネマ歌舞伎、とやらを見てきました。
玉三郎が主演の泉鏡花作品を2本。
「海神別荘」と「高野聖」。


「海神別荘」
主演:坂東玉三郎、市川海老蔵
美術:天野喜孝
2009年7月 歌舞伎座公演


kabuki_01.jpg


ここは海の底、琅玕殿という宮殿。
海神の公子が花嫁の到着をそわそわしながら待っている。
この花嫁ってのが、浦一番の美女らしいんだけど、
貧しい漁師である父親が
「魚とか財宝とかと引き換えなら、娘をくれてやってもいい」
なんて約束をしてしまったがために、
娘は人身御供になって差し出されてしまった模様。
道中、サメだかなんだかに襲われそうになった娘を、武装して助ける公子。
その姿は黒い毒龍のようで、娘は怖れおののいてしまうのね。
公子と対面した娘は、父親や浦のみんなに生きている姿を見せたい、と懇願するんだけど、
実はもう娘も海蛇に姿が変わってしまっていて、
父親には殺されそうになって、海の宮殿に逃げ帰ってくるんだけど、
もうもう、悲しくて、めそめそ泣いているわけさ。
公子は「だからやめろって言ったのに」「泣くなら殺す」って言って、
実際に殺そうとするんだけど、
いざ間近で公子を見た娘が「こんなに美しい方だったのですか」と改心しちゃって(笑)
めでたし、めでたし、って話。


うーん・・・
「海神別荘」は、わりと好きな脚本なんだけど、
意味がよくわからないのよね(笑)
他人の演出=切り口を見れば、何かヒントがつかめるかと思ったんだけど、
やっぱりよくわからなかった(笑)

公子の理屈はわかるんだけど、
娘がコロっと態度を変えるのが不可解。
セリフの流れでは飛躍があるので、そこを演技で埋めてほしかったんだけど、
「?」のまま終わってしまったよ(爆)
これってさ、「見る」ってことがキーワードだと思うんだけど、
古語の「見る」って、「心が通う」とか「婚姻する」とかって意味でしょう?
それがうまく活かされていないのかなぁ・・・

あんまり公子と娘が交流していなくて、
役者の気持ちが動いていないから、
見ているこっちの気持ちも動かないのかもしれない・・・
これ、ちゃんとガッツリ交流させたらどうなんだろう・・・

海老蔵が大根で、ひとり芝居が浮いてるんだけど(笑)
まぁ、見目がいいから、公子は適役なのかもしれません(笑)

とにかく、美しい絵づら・動く写真集が見たかったら、2100円はお安いかもね。




「高野聖」
主演:坂東玉三郎、中村獅童
2012年3月 上映
舞台公演の収録ではなく、シネマ歌舞伎用に新たに舞台上で撮影とのこと。
その舞台映像に、ロケーション映像などを編集で加え、
実験的な映画作品に仕上がっています。


kabuki_02.jpg


若い僧侶が、飛騨から信濃に抜ける山道に迷い、
山奥の一軒家にたどり着く。
そこには、この世のものとも思えないほどの美女が住んでいて、
その色香に道を踏み外しそうになるが・・・
って話。

これってさ、とっても肉感的な作品だと思うのよね。
真夏の山の蒸れた草木の臭い、
動物の臭い、
汗の臭い、
若い男と美しい女の、
転ぶか転ばないかというギリギリの駆け引き(笑)

そういう「臭い」が感じられるのが、いい芝居だと思うんだけど(笑)
やっぱりきれいな動く写真集になっちゃうなぁ・・・

中村獅童、いい役者だと思うんだけど、
やりどころがないまま終わっちゃった感じでもったいなかったな。
これ、観客なしで映像を撮ったんだろうか?
それで、テンション張れないまま・見せる(魅せる)本気を出せないまま
終わっちゃっても仕方ないのか?
仕方ないで終わっちゃっていいのか?





「舞台」って何なんだろう。

セリフで語られるストーリーを超えた何か。
役者と役者の間、役者と観客の間に、ぴーんと張られた感情の糸。
実際には感じることのできないものを感じさせてしまう不思議。

ただ、キレイだった、豪華だった、で終わらせない何か。
舞台を映像にした時に、抜け落ちてしまう何か。








この2作品の上映は、明日まで。



posted by ゆきお at 19:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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